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おことわり

しがない高校教員が、自分のために管理しているサイトです。ほとんどの記事やデータは公開するつもりがありません。請われても、絶対に公開しません。

どのようにしてたどり着かれたのか分かりませんが、お目汚しを失礼しました。どうか、あなたの時間を無駄にしないためにも、ほかのサイトをオススメ致します。

学校教育と、生徒が学びに向かう主体性について

「主体的」という言葉を「自発的」「積極的」というのと同等に見る考えもあるだろう。しかし、少なくとも私は、それらに「自律的」という意味を加えたものが「主体的」である、と考えている。学びに積極的であるとか、自発的に学んでいること以上に、自分で学ぶことを決めている状態をもって、主体的に学んでいると見たい。

そもそも教育や学びとは、本質的に受動的なものであるということと、理解している。個人が、社会に適応し、その社会の発展的な継続に寄与できるようになることを社会は要請する。そのために施されるのが教育であり、そこで個人が見せる様態が学びである。ゆえに、個人は社会から学ばさせられている、と見ることができる。

狩猟によって生計を立てている家族集団という単純なモデルであったとしても、このことは言える。親から子への狩りの方法の伝達は、真に迫ったものであって、子の学びは能動的なものであろう。一方では、その伝達は、集団が継続するために行われていると考えることができるので、受動的なものである。

実際の社会はもっと複雑なモデルと見るべきだ。そこで繰り広げられる学びの形も多岐に渡る。学びの受動性の問題は、その全てにわたって潜んでいると考えている。たとえば、自動車学校やダンススクールでの学びは一見主体的だが、自動車が無ければ暮らせない、とか、文化的な活動を行うことに価値を付与する、とかいった社会の状況に「させられている」という性格を取り除くことはできない。

学びの持つ本質的な受動性が意識されていなければ、主体的な学びであるとは思わない。あるいは、「その性質を除いて」というカッコ書きを付けて学びの主体性を論じるのにも違和感がある。これでは、学習者がその真実に気づいたときに、学びの主体性は破綻し、それまでの自分の学びは主体的であったのか、という病質的な問いに苛まれる恐れがある。

私は、むしろ、主体的な学びという言葉の矛盾を直視しながらも、先に述べたように自発・積極・自律的に学んでいる状態を、真に主体的な学びであると考えることで、安定を得たいと考えている。

学びの主体性を論じるとき、このような複雑な問題が立ちはだかってしまう。発達の問題もあって、個人に施される教育の全ての局面が、主体的な学びであることを規定するような統制は、それを打ち立てた段階から無理をきたしている。公教育においては、とくに言えることである。本来は保護者に対する義務であるとはいえ、教育を施されることが義務と見られ得る義務教育は、それ自身がすでに主体性という言葉と矛盾している。私が携わる高等学校での教育も、大学全入と言われる現在においては、義務教育と同じになりつつある。

高校に通わないという選択を社会は容認せず、高校に進学することはほとんど決められているに等しい。また、通うことのできる学校は地域や学力によって制限されるし、学ぶ内容も画一的だ。学ばないことの選択を保証せずには、学びの主体性というものを真に達成することはできない。一方では、とにかく学校で学ぶことを社会が強く要請している。小中学校と比べると選択の余地を残している高校でさえ、この有りようだ。学校教育というものが強く枠づけられている以上、そこでの学びが主体的になるとは考えにくい。

この矛盾している状況は、現行の学習指導要領に現れている。「主体的・対話的で深い学びの実現」という考え方が示されているのだが、ここでは「主体的な学び」を「学ぶことに興味や関心を持ち、自己のキャリア形成の方向性と関連付けながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動を振り返って次につなげる」ものであると定義づけている。「前向きさ」や「謙虚さ」が押し出されているだけで、自己決定の要素が抜け落ちている。そもそも学ぶことを自己決定できなければ、主体的な学びは達成できないと考える。学校教育を否定しているわけではない。学校教育の中で行われる活動全般に、主体的な学びであることを求めるような社会統制に無理があると思うのである。

発達についても慎重に考えるべきだ。発達段階の浅いものに、学ぶことを決めさせることなど、できはしない。判断の根拠となる土台があるからこそ、自律性が担保される。受動的な学びは、人間形成の上で必要不可欠なものだ。これを実現する社会的なシステムが学校であると思うから、そこに主体的な学びというのは相いれないと考えている。「主体的に学ぶことのできる人物の育成を目指す」ことが、学校教育の目的とするところであろう。

主体的な学びを促進するならば、統制が強くてはいけない。学ばないこと、必要に応じて繰り返し学び直せること、学ぼうと思ったタイミングですぐに学びの環境にもどれることなどを保証する、ゆるやかな統制の元でこそ、主体的な学びは促進されると思う。 一方で、このような統制は、理想であって実現が難いということも思うのである。人間の発達の問題や、現代社会の様相とは調和しにくい。

教員は、この点を充分理解して、教育に携わるべきだ。教員は、教室という社会のなかに君臨し、生徒に強く働きかける。主体性との矛盾性に気づかずに行われる教育活動は、主体性の育成とは真逆の結果につながり得る。規律を重んじる強い統制は、生徒から主体性を奪う。一方で、主体性を履き違えた「ユルい」統制は生徒の甘えを許して学びを奪い、結局、主体的な学びの育成とは異なる結果につながってしまう。

学びに向かう主体性は、学校教育の中で育まれるものであって、学校で教育を受けている生徒の学びそのものに求められるようなものでは無いと考える。生徒の主体的な学びを促進するためには、主体性が培われてゆく過程を長い目で見る寛容さを社会(国や地域)が持つことが必要であろう。そして、教員は、生徒に小手先の方法論で「主体的な学び」を引き出そうとせず、学ぶ楽しさや素晴らしさを感じられるような実践を実直にかさねることが肝心であると思う。

理科の中の算数について思う

 高校で理科を教えていると、算数の内容でのつまづきが原因で理科も共倒れになるという場面に合うことがしばしばある。それもそのはず。小学校算数はあたりまえに身についていることを前提に、中学校や高校の数学や理科が組み立てられている。特に、中学校以降の数学は数学的な概念の定着に重点を置く。算術を駆使する場が、数学ではなく理科になるのだ。

 「学びなおし」や「計算特訓」みたいな時間割を特設し、算術の訓練をしている学校もあるだろう。そんな学校ならいざ知らず、理科がそれをやらなければ生徒の算数の知識が呼び起される機会はない。なんとなく分かっている人も多い。でも、意識的に対策されているのか疑問だ。分かっていればまだましな方で、生徒の算数の知識が追い付いていないのに、遮二無二、理科を指導してしまう。それゆえに、理科が嫌いになる生徒も多いのではないだろうか。

 理科嫌いと言われるけれど、意外と生物や地学などは好かれている。物理・化学にピンポイントで苦手意識を持つ生徒が多いことの一因だろう。

 算数の中で、圧倒的につまづきがある内容が「はんぱ」と「割合」である。2つを組み合わせてた「分数」などもってのほか。それらをよけて、理科の授業を行うことも可能だろう。化学や物理であっても、うまくやれば避けられる。が、生徒にとって「理科の知識」と「算数の知識」とどちらが大切かと問うと、「算数」なのは認めざるを得ない。

 あまりこだわりすぎると、かえって生徒を苦手にしてしまう。十分に分かっていること。しかし、上手くやれば生徒の力を劇的に引き延ばすことができる、ということもまた分かっている。理科の教員として、実践から切り離すべきではない「量の概念」の指導について、小学校算数の指導要領を照らし合わせながら考えられないかなと、思索しているところだ。

 もしかすると、ことは理科で閉じていなくて、学校全体としての基礎学力保障の取り組みに関連付ける必要があるかもしれない。そこまで考えが至れば、何やら面白いことになるかもしれない。などと、皮算用。

【備忘録】pic16f88 ad変換プログラム

研究の過程で、アナログ回路の電圧をパソコンに取り込んで処理する必要が出てきた。大学で学んだことなどを総括すると、picというマイコンと、usb-ioというモジュールを組み合わせて実現できそうだ。picでAD変換を行い、信号をusb-ioでパソコンに取り込む。

さっそく両者を手に入れたが、公務優先ゆえに、手を付けられずにいた。

勤務校も冬休み。ようやく手を付けられるようになった。まずは、pic16f88のプログラミングに挑戦した。初めてのアセンブリ言語。なにから手を付けていいかわからないので、ネットにアップされていた7セグデジタル電圧計のプログラムを解析するところから始めた。1日がかりの作業で何とかプログラムを完成させたのだが、usb-ioと組み合わせて動作を確認してみたところうまくいかない。というか、usb-ioが思うように動かない。

usb-ioの挙動も調べつつ、picのプログラムと電子回路の改良によって、何とか思い通りの動きをするようになった。備忘録としてpicのプログラムを残しておく。

<vmeter.asm>

;—-ヘッダー——————————
LIST P=PIC16F88
INCLUDE __CONFIG _CONFIG1, _CP_OFF & _DEBUG_OFF & _CPD_OFF & _LVP_OFF & _BODEN_ON & _MCLR_OFF & _WDT_OFF & _INTRC_IO & _PWRTE_ON
__CONFIG _CONFIG2, _IESO_OFF & _FCMEN_OFF

;—-変数定義—————————-
COUNT EQU H’20’ ;ループカウンタ
TC EQU H’2D’ ;START内のループカウンタ

ORG 0
GOTO START

ORG 4
GOTO START

;—-STARTサブルーチン—-
START
CALL INIT

START1

CALL ADSTART ;AD変換

GOTO START1

;—-INITサブルーチン—-
; 入出力ピン初期化
;——————–
INIT
BCF INTCON, GIE ;INTCONの7ビット目を0に →割り込み禁止

BSF STATUS, RP0 ;STATUSのRP0ビット(6ビット目)を1に →Bank1へ切り替えた

MOVLW B’01010000′ ;2MHz 101
MOVWF OSCCON ;をOSCCONへ→クロック設定

MOVLW B’00000001′ ;(-,RB7, RB6, RA4, RA3, RA2,RA1,RA0)=(-,デ,デ,デ,デ,デ,デ,ア)
MOVWF ANSEL ;をANSELへ

MOVLW B’00000000′ ;RBx=0 出力モード
MOVWF TRISB ;をTRISBへ→ポートBを出力モードに

MOVLW B’00000001′ ;RA0=1 RA0入力 、RAx(x>0)=0 RAx 出力モード
MOVWF TRISA ;をTRISAへ→ポートAの0番を入力モードに

MOVLW B’00001110′ ;AD変換結果を右づめで格納
MOVWF ADCON1 ;をADCON1へ

BSF OPTION_REG, NOT_RBPU ;OPTION_REGの7ビット目を1に→RBプルアップ有効

BCF STATUS, RP0 ;STATUSのRP0ビット(6ビット目)を0に →Bank0へ切り替えた

MOVLW B’00000001′ ;変換クロック÷2(00)、変換チャンネルRA0(000)、まだ変換しない(0)、-、変換使用開始(1)
MOVWF ADCON0 ;をADCON0へ

RETURN

;—-ADSTARTサブルーチン—-
; AD変換データ取得サブルーチン
;————————-
ADSTART
CALL TIME
BSF ADCON0, GO
WAIT
BTFSC ADCON0, GO ;GO→AD変換中は1、終了していれば0でGOTOをスキップ
GOTO WAIT ;プログラムカウンタを減らしてループ

MOVF ADRESH, W ;上位データをWへ
MOVWF PORTB

BSF ADCON0, GO

RETURN

;—-遅延サブルーチン—-
TIME
MOVLW H’25’
MOVWF COUNT
NOP
LOOP
DECFSZ COUNT, F
GOTO LOOP

RETURN

END