月別アーカイブ: 2017年1月

人との関わりの中で、良く仕事をするということ

最近思う。良く仕事を進めるためにはどうすればよいのかと。

自分で100点満点だったと思える仕事など、1度もできなかった。「先生、〇〇についてどうしたらいいでしょうか」いつも、何かにつまづき、誰かに助けを請うてきた。明らかにめんどくさそうに対応されることもあったし、叱責されることもあったと思う。だけど、いつでも味方を得て、それなりの着地点へと話が収まってきた。

いま、目の前にそうならない人がいる。「僕だったらこうする」 話を聞いていて、意見をいうこともある。僕の意見通りにされることもあれば、また別なことをされることもある。要は、話を聞いてほしい、ということだろう。それはそれで構わない。だけど、「なんでそれでうまくいかないのか」という方向に話が進むことが多いのである。

そんな顛末を傍観していると、仕事の進め方について深く考えさせられる。なにが、彼女をこのような状況に追い込むのであろうと。最近、耳にしたのだが、彼女の評価が、彼女に関りのある部署では、ことごとく低いのだそうだ。何となくわかる気がする。彼女の言動を見ていると、自信家そのものなのである。しかし、自己評価がたいへん低いと見える。はったりが効かないのに、自分を過剰に大きく見せようとする、とでも言おうか。

大風呂敷を引くだけなら「言わせておけ」で済む。が、火の粉が飛んでくる、とでも言おうか。彼女と一緒に仕事をすると、彼女のスタンスに振り回され、損させられる。少なくとも、僕の考え方とはまるで違うのである。彼女と僕とのスタンスの違いが分かりやすいエピソードがある。

僕の授業での一コマ。

テスト前の自習の授業での出来事。生徒がいつまでも隣の子と話をやめないので、席を変われと指示を出した。その生徒もすっと席を変わればよいものを、意固地になって変わらない。元からざわついた授業だったので、私語を完全に収めることなど考えておらず、当該生徒が席を動きさえすればそれで矛を収めるつもりであった。

しかし、一向に動かない。「なぜ自分だけが」という思いもあったのであろう。結局その授業の最後まで指示に従わなかった。仕方なく、当該生徒を生活指導室へと連れてゆき、指導をしてもらうという判断をせざるを得なくなった。

生活指導の先生は大変である。僕が、もう少しうまくことを収められていれば、その生徒の指導をしなくてもよかったのであろうに。言い過ぎかもしれないが、僕は僕の仕事を完遂できなかったため、生活指導の先生に「投げた」のである。だから、指導に当たってくださった方に、僕は心から「ありがとうございます、お世話になりました」と伝えた。

問題はそこからである。

どういう経緯でそうなったのかは忘れてしまったが、僕が生活指導の先生に「ありがとう」を伝えたことを問題の彼女が聞き「なんで感謝する必要があるのか」と僕に言った。生活指導の先生は生徒を指導するのが当たり前の職務なので、世話になっても感謝をする必要などないというのである。ある意味で、新鮮な言葉であった。

これが、定年間近の人間であれば話は違うのかもしれない。そうであったとしても、礼儀と謙虚さを忘れる人間を、僕は認めたくないのであるが。しかし、そもそも、僕と歳も近く、職場ではまだ若いほうの彼女が「仕事はしてもらって当たり前」という姿勢でことに当たる。まっとうであったとしても、そういう言動で当たられた方は心外であろう。

彼女は、そういう風に考えられないのである。それはそれで一貫しておればよいのであるが、彼女自身がほかのだれかに同じようにされたときには、腹を立てているのである。ひょっとすると、やり返されているのではないかと思うことさえある。僕自身も彼女に対して、不満に感じる部分が多い。2度と深く仕事では関わりたくないとさえ感じる。

たいへん厳しいことを言わせてもらえば、視野が狭すぎる。齢30にもなってこれでは、周りに敵を多く作るはずである。

僕のスタンスは「謙虚であること」慇懃無礼に思われる部分もあるであろうが、「何かをしてもらう」という姿勢を崩さない。そして、仕事に対しては、謙虚に少し多めに頑張る。損することも多いのであるが、何かが起きたとき必ず誰かがサポートしてくださる。

初めから「完璧であること」を放棄し、そのための保険として普段いい顔をするというやり方が、正しいのかどうか分からない。実際、なめられているのではないかと感じることもあって、度が過ぎたときには文句を言わねばならんという辛さを伴う。ただ、しかしである。少なくとも、彼女よりはうまく物事が回っている。

今年、年齢の10のケタが変わる。他の1年と大して違いないはずであるが、節目であるという気持ちが強い。分相応に考え方を改めてゆかねばならないのであるが、一方で、謙虚さを忘れたくはない。いろいろな方と接してきたが、「この人と仕事がしたい」「この人についてゆきたい」と思った人はみな、実直・誠実で、どこかに謙虚さを持っていらっしゃった。そして、そのような方々はみな、周囲をひきつけ、うまく仕事を回していたように思うのである。

いろいろと、彼女に意見をしてきたが、本当に伝えたいのは、「もう少し感謝をしなさい」ということと「みんなに見えるところで仕事をしなさい」ということである。いつでも「自分は未熟である」という姿勢の表れが「感謝」。そして、「一緒に仕事を頑張りましょう」という姿勢の表れが「ともに仕事をすること」。

謙虚さから抽出した、「感謝」と「前向きさ」。この2点が、仕事をよく進めるうえで大切なことではないか。今年30の節目に、同僚の言動を見ながら感じたことを、ぐだぐだと述べてみた。

それにしても、僕は、人付き合いが大変苦手なのであるが、彼女は、もっと苦手なのであろうなと、思いを馳せながら、今日この記事を書いている。

一年の計2017

せっかく作ったウェブサイト。活用しないともったいない。ちょうど新年なので、今年の目標を一つ。

転勤1年目。担任や重要な役職は免れた。が、下働きは多かった。授業だって5種類16単位も持った。

今年から初めて開設される学校設定科目。今まで一度も教えたことなく、しかも専門外である地学。二時間連続の化学が学年違いの2種類。

決して楽とは言えない幕開けだった。だけど、それはきっと序の口なんだろう。この授業数はそのままに、役職や担任が回ってくる。

前任校の自分なら、よくわからんうちに笑って引き受けた。

「今年はそうはさせない」主張すべきことは主張しつつ、適切に仕事を引き受ける。なぜなら、現任校はあくまで現任校。

自分の教員としての目標は「自分なりの理科教育をつきつめる」こと。ここで必要以上に頑張っても達成できない。だから、思い切って学生やることにした。

働きながらの学問はしんどいと思う。しかし、若いうちでないとできないことだ。だから、今年行動に移す。

以上を踏まえ、今年の目標をまとめておこう。

1.自分なりの理科教育の追及を続けること
2.学生生活を踏まえた生活リズムを確立すること
3.必要以上に学校の仕事に関わらないこと

がんばるぞ。

おことわり

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