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岸田秀「子どもとは何か」を読んで

 「子ども」という概念が「発見されたもの」であるということは、なんとなく知っていた。しかし、未開人や精神病患者などと同じく「異質なものとして発見された」という表現の過激さに衝撃を受けた。理性人という存在はただの理想であって実現しないものだということを暗に述べ、自分たちこそが理性人であるとの近代ヨーロッパ人の主張を妄想と切って捨てるくだりは、爽快に感じた。
 狂気、無教養、無邪気といった概念を作り出し、それらを治療・開発・教育する対象として見なす。そして、自分たちはその対極にあるものとして優位に立とうとする。このような人間の精神性は良く理解できる。かく言う私自身も含め、そのような精神性を改めきれないところを見ると、ポストモダンとはよく言ったものだなと皮肉に感じる。
 私たちは、ものごとを二項対立で見がちだ。「正常/異常」「文明/未開」「おとな/こども」「善/悪」などという軸を持つということは、シンプルで分かりやすい。しかし、危ういことでもあると思う。どちらが優位か、ということは分類した者が勝手に決めている。また、線のどちらに入れてよいのか分かりにくい曖昧なものは必ず存在する。そんなことからは目をそむけ、ものごとを「1か0か」式に割り切って考えようとする。「現代人」が持っているビョーキだと思う。
 私たち教員はこのビョーキをよく体現していると思う。極端に言うと、教育というものは良い行い/悪い行いを分類するところから始まると思うからだ。昨今世間を騒がせている、髪の毛の色問題などは、この良い例ではないか。同じ髪の毛の色であっても、その色に至った経緯は個別に違うはずなのだ。染髪が悪だとするならば、地毛は善である。また、染髪も、地毛の色が原因でいじめられた経験からやむを得ずのことであれば、それを悪と決めつけ得るのか。などということを、資料から考えた。
 生徒の指導場面で、生徒の背景まで考えることはより丁寧であると思う。しかし、そもそも学校がビョーキを体現した入れ物である以上、その入れ物の中で活動しているがゆえの限界があると思う。

数式を表示してみる


記事に数式を表示できたら、できることの幅が広がる。ちょうど、wordpressの数式プラグインMathJax-LaTexを見つけたので、シミュレーションがてら数式を表示してみる。

$$ ax^2 + bx + c = 0$$

$$ \frac{\rm d \it x}{\rm d \it t} $$